こどもの頃の日本の印象というと、やはりゴジラですね。私を含めアメリカのこどもたちはみんなゴジラに夢中でした。
また、父が昔からずっとトヨタ車のファンなのでその印象も強いですね。
また、父が昔からずっとトヨタ車のファンなのでその印象も強いですね。
小学校4年生から大学まではレスリングをしていて、日本武道にも興味を持っていました。
1991年にアメリカで空手を始めたのですが、そこの道場がとても日本的なものでした。先生はアメリカ人でしたが、礼儀作法を重んじ、空手の専門用語などは日本語で教えていました。
また、黒帯昇進試験前には船越義珍の「空手道一路」や宮本武蔵の「五輪書」を読むことを生徒に勧めたりしていました。これらの本を読むことで、私の日本への興味は一層深まり、いつか日本の道場で修行をしてみたいと夢見るようになりました。
友人から日本での英語講師の仕事を紹介してもらい、1998年の秋に来日しました。日本へ来てからは空手だけでなく、合気道や英信流 居合道の修行にも励んでいます。
1991年にアメリカで空手を始めたのですが、そこの道場がとても日本的なものでした。先生はアメリカ人でしたが、礼儀作法を重んじ、空手の専門用語などは日本語で教えていました。
また、黒帯昇進試験前には船越義珍の「空手道一路」や宮本武蔵の「五輪書」を読むことを生徒に勧めたりしていました。これらの本を読むことで、私の日本への興味は一層深まり、いつか日本の道場で修行をしてみたいと夢見るようになりました。
友人から日本での英語講師の仕事を紹介してもらい、1998年の秋に来日しました。日本へ来てからは空手だけでなく、合気道や英信流 居合道の修行にも励んでいます。
日本での滞在は1年だけの予定でした。当初はひどいホームシックで、アメリカに帰れる日を指折り数えて待っていました。それでも数カ月が過ぎると生活にも慣れ、「あと1年」くらい日本にいてもいいかなと思えるようになっていました。
「あと1年」経ったらアメリカに帰ろうと考えていた1999年12月、運命的な日を迎えたのです。
その日はこども英会話スクールでクリスマスパーティーが行われていて、私はお手伝いをしていました。そこに1人の日本人女性がやって来ました。彼女は1年間ロンドンに行っていて、ちょうど沼津に帰って来たところでした。彼女がイギリスのアクセントで英語を話すのを聞いて、「なんてかわいいんだろう・・・!」と思ったのです。
勇気を振り絞って彼女をデートに誘ったところ、「あと1年」がいつの間にか「14年」になっていました。
今ではその彼女と結婚10年を迎え、すばらしい3人のこどもたちにも囲まれています。
「あと1年」経ったらアメリカに帰ろうと考えていた1999年12月、運命的な日を迎えたのです。
その日はこども英会話スクールでクリスマスパーティーが行われていて、私はお手伝いをしていました。そこに1人の日本人女性がやって来ました。彼女は1年間ロンドンに行っていて、ちょうど沼津に帰って来たところでした。彼女がイギリスのアクセントで英語を話すのを聞いて、「なんてかわいいんだろう・・・!」と思ったのです。
勇気を振り絞って彼女をデートに誘ったところ、「あと1年」がいつの間にか「14年」になっていました。
今ではその彼女と結婚10年を迎え、すばらしい3人のこどもたちにも囲まれています。