みなさんに「どうしてアフリカ研究なんですか?」ってよく聞かれるんですが、実はそこまで強い信念があってのことではないんです(笑)
昔から動物好きで、中学生の頃には獣医になりたいと思っていました。動物のことを勉強したくて大学は農学部に進んだんですけど、一番やりたかった野生動物の研究をやっている研究室がなかったので、農業生態学の研究室に入ったんです。
大学4年生のときに師事した先生がたまたま雑草研究を専門にされている人で、その方のお話がおもしろかったので卒論はドクムギという雑草をテーマに書きました。ドクムギは麦畑の中に生える雑草で、麦に擬態して人の目を騙すんです。その実験・研究をしていました。
大学院に入ってからもどこの国に行ったらいいのかわからなかったので、色々な人に話を聞きましたね。その度にあれいいかも、これもいいかもって思ってしまって、目標が全然定まらなくって…。自主性が全くなかったですね(笑)その中でタンザニア研究をされている先生のお話が一番おもしろかったので、私もそれに乗っかってみようかなという感じでした。
私って自分で決められない人なんですよ。優柔不断だからすごく迷うんです。自分で決められなくて、人に勧められたら「あぁ、それもいいなぁ」って思って流れに乗っちゃうんです。
――初めてのタンザニアはいかがでしたか?
関西国際空港→バンコク→アブダビ→タンザニアという経路だったんですけど、バンコクまでの飛行機に乗っている時点で既に行きたくなくなってしまって…。さみしくて機内で一人で泣いちゃったんです(笑)タンザニアの空港には現地にいる日本人の先輩が迎えに来てくれていたんですが、二日後にその人は別の場所に行ってしまったので、すぐ一人になっちゃいました。
――タンザニアの言葉は話せたんですか?
タンザニアの公用語であるスワヒリ語を全く話せない状態で現地に行ってしまったんです。現地に着いてからタンザニア人の先生を紹介してもらって、10日間くらい英語でスワヒリ語を学ぶレッスンを受けました。そうやって一通りの文法は教えてもらったんですけど、それでは話せるようにはならなかったですね。
――そんな言葉も不自由な中で、はじめはどのように行動されたんですか?
「人が自然をどのように認識/利用しながら生活しているのか」という調査テーマはあったのですが、何から始めればいいのかわからなかったんですよ。言葉がわからないので、村の人に聞き取り調査をしようと思っても、せっかくのお話を理解できないですよね。だからはじめの頃はひたすら植物のサンプリングをして標本を作っていましたね。その標本を近所の人の所に持って行って「これは何て言うの?」「何に使うの?」って聞いていきました。この二つのフレーズだけなら使えたんです。そんな風に色々なことを村の人たちに教えてもらいながら、ちょっとずつちょっとずつ言葉を覚えていったという感じですね。
――こちらから簡単な質問ができたとしても、返ってくる回答が膨大なことってありますよね。分からない言葉で回答を受け取ることは怖くなかったですか?
みんな根気強くすごく丁寧に教えてくれて、とても親切だったんです。本当に村の人たちに助けられました。当時は村の中に英語を話せる人なんていないし、私がスワヒリ語を覚えないと誰とも会話できないという状態でした。私は小さなスワヒリ語辞書をポケットに入れて、いつも持ち歩いてたんです。村の人たちはみんなそのことを知っていて、会話の中で理解できないことがあると、村の人たちの方から「あなた辞書持ってるんでしょ?ほら、出しなさいよ!」って積極的に教えてくれました(笑)
日本人の先輩が友達を紹介してくれるということで街について行った時、たくさんの人たちに囲まれて話しかけられたんです。私は何を言われても何を聞かれても、ずーっと「ミミ ニ ハルナ…ミミ ニ ハルナ…」って答え続けていたそうです。後になってからその時の様子を先輩から聞かされました。私自身はいっぱいいっぱいだったので、全く記憶にないのですが(笑)
その後、村でお腹をこわしてしまったことがありました。何とかして「お腹をこわしている」「お水が原因だと思う」ということを伝えなきゃいけない状況だったので、そこで初めて「下痢をする」という単語を覚えました。生活の中の場面場面で、その都度言葉を学んでいったという感じですね。だから、日本で普通にスワヒリ語を勉強していたら知っているであろう基本的な単語を知らないこともあるんですけど、その代わりに作物の名前や食べ物の名前という生活に密着した言葉はたくさん知っていますよ。
――村の人とコミュニケーションを取るときに気を付けていることはありますか?
調査をするときには必ず、自分が何を知りたいのかきちんと説明させてもらうようにしています。「これを知りたくて勉強しに来たので、教えてください」と丁寧にお願いをします。
あとは、おしゃべり好きな人が多いので世間話に付き合うとかですかね(笑)
みんなヒマな時間がたくさんあるし、そういう部分もありますね。最近ではたくさん作ってたくさん売って稼ごうという資本主義の考えも定着しつつもありますけど。私が関わってきた人たちはあまりそういうタイプではないかもしれません。
私が調査に入っている地域はタンザニアの中でも、干ばつが起きたり雨が不安定だったり、気候的にすごく厳しい所です。そこの人たちは一生懸命働いても報われないという経験を何回も何回も体験してきているんです。頑張って畑を広げてたくさん作ればいい、というものではないということを、みんなどこかで感じてます。だから、自分の家族が暮らしていける分とプラスアルファの少しがあればいい、という考えになるんじゃないでしょうか。自分たちの力でできる範囲というものをすごくよく分かっているんです。紙の上で計算したりすることはないけれど、経験を通していろいろなことを知っているので、ものすごく賢いんですね。
――「こうしたほうがいいよ」と八塚さんからアドバイスすることはないですか?
たまに提案してみることはありますけど、それに対してみんなが「あぁ、そうか!」って同意してくれることはあまりないです(笑)
彼らは先祖代々親から教えてもらったことを大切にしながら、毎日のすごく細かい環境の変化を観察して知識を蓄積しているんです。彼らは私に何かを教えてもらおうなんて思っていないし、むしろ私が彼らから教えてもらっているんです。私が2,3年そこに滞在したからといって簡単に学べることはない、その地域に暮らしているからこそ得られた知識というものをたくさん持っているんです。
――八塚さんのエッセイの中に「この地域では雑草も立派なおかずになる」というエピソードがありました。雑草だからいつどこに生えるか分からないですよね。はじめからちゃんと栽培すれば収穫できるのに、そういった不確かなものを食料にするのは非効率ではないでしょうか?
日本人とは効率/非効率という考え方が違っているんでしょうね。日本人は「きちんと栽培してたくさん収穫できること」が「効率がよい」と言う。彼らにとっては「わざわざ労力をかけて栽培しなくても勝手に生えてくること」こそ「効率がよい」なんです。
日本にも実はそういう考え方ってありますよね。田んぼの脇のツクシや山に生えているワラビとかゼンマイを採って食べる、そういう感覚。そこに依存する割合が彼らは高いだけなんじゃないでしょうか。
日本と違うことというと、社会の中での人間関係もそうです。日本では警察沙汰を起こして1回でもバツがついてしまうと、その後の社会復帰が難しいというのがありますよね。中々やり直しがきかないという。でもアフリカの場合は全くそうじゃないんです。何か悪いことをして刑務所に入っていた人がいたとしても、帰ってくればみんな普通に受け入れるんです。「おかえり」って。とても自然で、全く変な空気はないんです。そういうことを何度も村で目にしてきました。自分が何か失敗を犯してもそこで終わりじゃない、受け入れてくれる雰囲気がいいなと思いましたね。
※問題を起こしてしまったある人と村の人々の関わりについて、詳しくは八塚さんのエッセイ「うわさの行方」をご覧ください。
日本にいる人たちはアフリカに対してすごくネガティブなイメージを持っていますよね。日本のメディアがそういう報道しかしないので仕方がないんですけど。私がアフリカから帰ると周りの人たちは「病気にならなかった?」とか「食べ物は大丈夫だったか?」とかすごく心配してくれるんです。やっぱりそういうマイナスなイメージしかないみたいで。
でも実際にアフリカに行ってみると、ポジティブな面や良い所がたくさんあることが分かるんです。日本にいる人たちはそのことを知ることができていない。だから、自分たちで発信するものを作ろうということでできたのが、アフリック・アフリカです。2004年に設立されたもので、私は2006年頃から参加しています。
アフリカについての出前講座をしたり、写真展を開いたり、滞在したアフリカの国々についてのエッセイをみんなで分担して書いたりして情報発信する活動を行っています。
※NPO法人アフリック・アフリカ
日本とアフリカでの活動を通して、全ての人々がそれぞれの「豊かな」生き方を実現できる社会を目指す。アフリカから学ぶ姿勢を大切にし、日本の人々がアフリカを身近に感じられる活動を進めている。
http://afric-africa.vis.ne.jp/
アフリカに行っているなんて言うと「強そう!」とか「一人でどこでも行けそうだね」って思われるんですけど、アフリカ以外は日本国内でも一人旅ってしたことがなくて。一人でごはんを食べに行くのも得意じゃないですね。
気になるお店を見かけてもすぐにはドアを開けられなくて、何回も何回もお店の前を行ったり来たりして思い切って入る感じですね(笑)石川さんのお店※もそんな感じで。かわいいお店だなと思っていて、勇気を出して入ってみたら、石川さんもすごく話しやすい方でよかったです。
※ISHIKAWA-LABO(イシカワラボ)
三島市一番町のセレクトショップ。
代表 石川英章さんのインタビューはこちら。
――実際にお話をうかがって、八塚さんの印象がガラリと変わりました。お会いするまでは「アフリカに一人で行く」=「すごく強い人」というイメージでしたが、とてもかわいらしい方で勝手に親しみを持ってしまいました(笑)
人の意見には流されるし、優柔不断な人間ですよ(笑)
でも、自分のモットーとして「ちゃんと自分から会いに行って人に話を聞く」というのがあるので、そこはこれからも大事にしたいですね。話を聞きたい、何をやっているのか見たい、自分で体験したい…。年を取って足が動かなくなるまでフィールドワークはずっと続けていきたいと思っています。
- 今の仕事に就いていなかったら何をしていましたか?
海に入るのが好きなんですね。ダイビングもちょっとやります。海産物を食べるのも好きで…。だから海女さんになりたいなって思ったことはあります。
- 過去の自分、未来の自分へのメッセージ
これからもフィールドワークは続けていきたいですね。
人がどうやって自然を利用して生きているのかというのを観察することが好きなので、アフリカに行けなくなったとしても、日本国内でフィールドワークをやりたいですね
- アイデアが浮かぶ場所、リラックスできる場所は?
アイデアが浮かぶのは自転車に乗ってる時ですね!今日も自転車に乗ってここまで来ました。自転車にボーッと乗りながら、明日の授業のこととか論文のこととか考えてると、いいアイデアが浮かぶんですよね。自転車に乗ってるからメモできなくて、そのまま忘れちゃったりすることもあるんですけど(笑)
- NPO法人アフリック・アフリカ
タンザニアでの人々の暮らしぶり、八塚さんの身の回りで起こった出来事・珍事件を書き綴った八塚さんのエッセイは必読!
http://afric-africa.vis.ne.jp/
「アフリカ便り」>「タンザニア」へ。
- 著書
タンザニアのサンダウェ社会における環境利用と社会関係の変化―狩猟採集民社会の変容に関する考察 (Amazonへ)
- 10-1 Kettle
今回のインタビューで使わせていただいたカフェは、三島駅南口から徒歩3分の10-1 Kettle(ジュウノイチケトル)さんです。
http://10-1kettle.skr.jp/
三島市一番町10-1
TEL : 055-919-4972
- 好きな本
山本周五郎、藤沢周平の小説が好きですね。
満員電車の中で山本周五郎を読みながら、涙したことも…。
- 聞いている音楽
中学生の頃からずっとミスチル(Mr. Children)が好きです。
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