東京で生まれて18歳まで東京にいました。東京に住んでいる時はいつも東京の外に出たいなぁと思っていました。人の多い都会の生活が自分には合わなかったのかもしれません。三島の短大への入学を機に、三島での一人暮らしを始めました。その学生時代にイタリア料理店でアルバイトする機会があり、イタリアに興味を持つようになりました。
大学を卒業して一度は東京の企業に就職したのですが、やはり「外に出たい」という気持ちと「イタリアへ行きたい」という思いが強かったので退職して、まずは日本のイタリア料理店で修行を始めました。23,4歳頃のことです。周りは10代でその世界に入る人たちも多い中、自分のスタートは遅かったので早くイタリアに行きたいと焦っていました。なので、そのお店もすぐに辞めてイタリアに渡りました。
――なぜ、そこまでイタリアに惹かれたんですか?
単純にイタリア料理が好きだったんです。イタリアの文化や歴史をきちんと勉強したから興味を持ったというわけではないんですよ。行ってしまえばなんとかなると思って、イタリア語もほとんど勉強せずにイタリアに行きました。
ツテは何もありませんでした。イタリアでは3ヶ月間語学学校に通うことに決めていて、3ヶ月オープンの航空券を買って日本を出発しました。その間に現地で仕事を見つけようと思っていたんです。
はじめの1ヶ月は語学学校に通って、2ヶ月目からトラットリア※1での職探しを始めました。お給料をもらうと不法労働になってしまうので「タダでもいいから勉強させてください!」と何十件ものお店を回りました。それで、あるトラットリアで修行させてもらえることになったんです。そこで6年半修行をさせてもらいました。
トラットリアでの6年の修行後、イタリア人の友人たちとフィレンツェにオープンさせたのが”OE”(オーエー)というリストランテ※2です。居抜き物件を改装した店舗だったのですが、店内が列車の形に似ていたので、ヨーロッパの長距離夜行列車であるOrient Express(オリエント急行)から店名を付けました。
イタリア人たちから日本食を食べたいという要望も多かったので、火曜日のお店の定休日にはお寿司やてんぷらなどを振る舞うこともありました。
※1 トラットリア…イタリアの大衆向けレストランの意。
※2 リストランテ…イタリアの高級なレストランの意。
もちろん辛かったですね。ベッドで夜に一人泣くこともありました(笑)昼間、店で周りのみんなが何の話で盛り上がっているのか分からなくて、家に帰って調べてみると、僕の悪口だったりして…。その頃は言い返すだけの語学力もなかったし、そういうネガティブなことにいちいち反応しても仕方ないと思って無視していました。でも、もしもそういう困難にぶつかっていなかったら、こんなに頑張れていなかったと思うんですよ。ことばは分からないし、知り合いもいないし、お金もない。これ以上最悪なことってないですよね。ゼロからのスタートって、後は上がっていくだけだから頑張れたんです。
――海外で周りの人たちとうまくコミュニケーションをとるコツはありますか?
最初の一言、その国のことばを話すよう努力することですね。イタリアだと”Buon Giorno”(こんにちは)の一言を使えるだけで、相手から親近感を持ってもらえます。僕たちが日本に来ている海外の人と接するときと同じですよね。相手が「こんにちは」と一言でもいいから日本語で話してくれると、自分たちに歩み寄ってくれているなというのが分かるし、こちらもその人のために何かしてあげようという気持ちにもなります。
――「こんにちは」以外にイタリア語で知っていると便利なことばはありますか?
やっぱり基本の”Grazie”(ありがとう)ですかね。あとは笑顔ですよ。ムスッとしている人よりも、ことばが分からなくてもニコニコしている人の方が得をします。
――イタリアの人々は陽気なイメージがありますが。
彼らも常に陽気なわけではないです。人と人との触れ合いは大事にしていますけど、人とある程度の距離は取るようにしていますよ。結構、日本人と考え方は似ているんじゃないかな。国土は南から北へ伸びていて、南の地方の人は明るくておしゃべりで北の地方の人たちはおとなしい印象。でも、女性は情熱的な人が多いかな(笑)付き合っている相手に対して「今、誰と一緒にいるの?」って気にする人は多いですね。イタリア語には男性名詞と女性名詞があって、日本語だと「友達と一緒だよ」って言えば済むことだけど、イタリア語には「アミーコ(男性の友達)」と「アミーカ(女性の友達)」の違いがあるから、素直に「アミーカと一緒だよ」って言ってしまうと女性と一緒にいることがすぐに相手にバレちゃう(笑)
“il”は男性名詞の定冠詞で、”cocciuto”は「頭でっかちの」とか「頑固者」という意味です。ちなみに、女性を表す時には”la cocciuta”となって、単語の最後が”a”で終わります。
そこは間違ってもいいやっていう気持ちでしたね。イタリア人も男性・女性の部分が僕たちにとっては難しいことで間違えやすいっていうことは分かってくれているから、違っていたら指摘してくれるし。
――発言することに対して恐怖心はなかったですか?
それはもちろんありましたね。ちゃんとした正しい言葉をしゃべろうって。でも、実際の生活の上ではどんどん物事は進んでいってしまうから、そんなことを考えている場合じゃないんです。だから間違えてもいいから、どんどんしゃべりましたよ。
――イタリア語を習得するのにどれくらいの時間がかかりましたか?
うーん、そこはよく分からないですね。1年目にはなんとなく言っていることが理解できたり言いたいことが言えたりしたんですけど、やっぱり1年目の壁っていうものがあって。2年目にはその上のレベルの壁があって、3年目には文法をきちんと気にしながら話そうという壁があって、4年目には新聞をちゃんと読めるようになりたいという壁があって。10年以上イタリアにいましたけど、今でも完璧ではないと思っています。
――日本に戻られてしばらく経ちますが、今でもイタリア語に触れることはありますか?
ありますよ。最近は友人たちを集めて、ちょっとしたイタリア語講座みたいなものを開いています。飲食店をしている人やイタリアのワイナリーに買い付けの予定がある人たちが参加してくれています。誰かが差し入れてくれたワインを飲みながら、みんなで楽しくやってます。
自分で先生というものをやってみて分かったんですけど、僕、けっこうスパルタみたいです(笑)みんな早く会話がやりたいとか早くしゃべりたいって言うんですけど「基本的な文法を覚えるまでは絶対にだめ!」って言って、まだ会話はやらせてないんです。これは僕の実体験から言えることなんですが、イタリア語を学ぶときにはまず、文法をきっちり勉強した方がいいと思うんです。基礎をしっかりと作ってから会話に入った方がうまくいくんじゃないかな。イタリア語の発音は簡単なので、文法を習得して土台ができてしまえば後が楽なんです。
元々は大学時代に三島に住んでいたので三島の良さは知っていたのですが、「絶対に三島でお店をやろう」というようなそこまで強い想いがあったわけではなく、自然な流れで三島に来ることになったんです。そもそもは、熱海で新しくオープンするイタリアンのシェフをやってほしいということでイタリアから帰国したんです。その後、自分でお店を開こうと思ったときに熱海から通えるエリアで物件探しをして、たまたま見つかったのがこの場所だったんです。
三島での生活は一言で言うと「楽」。人間が本来あるべき姿でいられるなと感じています。僕は東京出身で、こどもの頃から満員電車に揺られて通学していたんですよ。それを当たり前だと思っていましたが、都会のそういうところがあまり自分に合っていなかったんでしょうね。三島には源兵衛川や白滝公園など癒される場所がたくさんあります。
――il cocciutoさんは三島のみなさんにすごく愛されていますよね。お店のこだわりはありますか?
料理を全て日本風のアレンジなしで提供していることですね。うちでお出ししているのは完全なる本場の味です。僕がイタリアで習得した味、それを日本にいながら楽しんでもらえるのがil cocciutoの強みだと思っています。生ハムやサラミ、ワインもイタリアから取り寄せています。
――今後の目標はありますか?
これからも三島でお店を続けたいと思っています。それから、せっかくイタリアとのつながりを持っているので、輸入業・インポートの仕事をやってみるのもおもしろいかなと思っています。
- 今の仕事に就いていなかったら何をしていましたか?
ミュージシャンを目指していたと思います。中学生の頃からギターを始めて、大学ではオリジナルの曲作りもしていました。イタリアでもバンド活動をしていて、フィレンツェのミケランジェロ広場でコンサートやったこともあります。
- 過去の自分、未来の自分へのメッセージ
“il cocciuto” の由来にもなっていますが、過去の自分は頭でっかちで不器用でしたね。でも、何があっても根性だけで乗り切ったことは今ではいい経験になっています。「よくがんばりました!」と自分を褒めてあげたいです。
未来の自分へは「趣味を増やそう」と言いたいですね。今は音楽くらいしか趣味がないので、何か興味を持てることを増やしたいですね。
- アイデアが浮かぶ場所、リラックスできる場所は?
アイデアが浮かぶのはギターを弾いているときですね。普段忙しくしているので、ギターをジャカジャカやっているときって「無」の状態に近づくんですよね。「無」になった後に色々なアイデアが出てきます。
リラックスできるのも一人でギターを弾いているときですね。好き勝手やっているように見えて、こう見えても意外と人に気を使ってしまう人間なんですよ(笑)
- il cocciuto
(齊藤健介さん)
三島市泉町14-10
- 好きな本
「ノルウェイの森」 村上 春樹(著)
学生時代にたぶん1度読んだことがあるんですけど、30歳頃に読み返してみてすごく心に響きましたね。妻と出会う前のことでしたが、この本を読んでこんな風に人を愛せたらいいなと思いました。
「シルバー川柳」社団法人全国有料老人ホーム協会
日本の古き良き文化とブラックジョークの融合!グッときます!
- 聞いている音楽
イギリス系ロックが好きです。
インタビュー・文=塩道 美樹 / 写真=モロイ・ジェームズ、塩道 美樹、林 奈津子
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